時代と地域の声を聞く!創業70年「株式会社丸八」が大切にしてきた、人との繋がり
written by 大西マリコ
昭和29年の創業以来、富山県を中心にLPガスの供給や水廻り工事などのインフラを支えてきた株式会社丸八。地元のお客様に喜ばれるサービスに努め、地域と共に歩んできました。また、富山県出身の大相撲力士・朝乃山関を始め、地元スポーツのスポンサーを積極的に行うなど、まさに地域密着型の企業です。その浸透ぶりは、地元で「猫のマークの運送車の次によく見掛けるのは丸八さんの車」と言われているほど!
そんな多くの人に親しまれてきた株式会社丸八について、社長の大﨑浩司さんにお話を伺いました。
インタビュイー:大﨑浩司さん
株式会社丸八 代表取締役社長。富山県魚津市出身。富山県内の高校を卒業後、青森県内の大学に進学。卒業後、設備会社に就職した後、2005年より同社にて営業本部長として従事。2009年に代表取締役社長に就任。プライベートでは釣りが趣味で、とくに海釣りがお気に入り。自宅裏の海や、友人と船に乗って季節の魚を釣り上げる。
会社と地域の最善を形に!
時代に合わせて柔軟に変化
――― まずは、事業内容について教えてください。
富山市・石川県内において約20,000軒の一般家庭用・業務用のLPガスを供給する「エネルギー事業」、一般家庭の水廻り工事や増改築工事やビル・工場・公共施設等の内外装工事に取り組んでいる「ビルド事業」、建設会社や工務店様向けに建築資材を仕入・販売を行う「建材事業」の3つの事業を展開しています。
また、近年は太陽光発電システム、水の販売やアグリ事業などの環境を意識した事業にも取り組んでいます。
――― 昭和29年創業。2024年には70周年を迎えますね。長い歴史を積み重ねてきたと思いますが、会社はどのようにスタートしたのでしょうか?
魚津市の大きな問屋で働いていた創立者が、昭和29年2月に独立したのが株式会社丸八の始まりです。問屋での主要事業だったセメント部門を暖簾分けに近い形でいただき、戦後のバラック小屋で従業員3人でスタートしました。
そこへ、当時まだ新しかったLPガスの販売を始めたのが、現在の丸八の礎となっています。
――― 戦後の大変な中、バラック小屋で3人の従業員から始まった株式会社丸八。時間と努力を重ねて、自社ビルと100名を超える従業員を抱える企業へと躍進したのですね。近年はエネルギー事業だけでなく、アグリ事業にも注力しているそうですが、どのようなことをしているのでしょうか?
丸八の関連法人に「海望福祉会」という社会福祉法人があるのですが、そちらと連携して、障がい者の方が働ける農業と福祉の農福連携事業として果樹園やワイナリー、干し芋づくりを行っています。
きっかけは、地元の農家さんからの相談です。魚津市は果樹の生産が盛んなのですが、農家を辞める人が増えていると。そこで「地元の果樹産地が廃れてしまうので、どうにかしてもらえないか」という相談を受け、丸八でできることはないかと考えたんです。
ちょうど祖母のふるさとである西布施地区がぶどうの産地だったこともあり、ぶどう農家さんにぶどう農園を貸していただけるかとお願いしたところ、「引き継いでほしい」と依頼され、今では5つのぶどう園を引き継いでいます。順調に事業は進んでおり、おかげさまで2023年10月にワイナリーをオープンさせることができました。
▲2023年10月にオープンした「KANATAワイナリー」。富山湾がもたらす魚津の豊かな食文化とワインのマリアージュが楽しめます。
KANATAワイナリー
https://kanatawinery.com/
福祉面では、3年ほど前から障がい者の方が働ける場所としてスイートポテトなどのさつまいもを使ったお菓子づくりを行っています。魚津は古くからさつまいもの産地として知られており、市内だけでなく東京日本橋の「とやま館」でも干し芋を置いてもらっています。
――― 地域に密着し、地域のみなさんと共に歩んでいる会社だということが伝わってきます。
歴史を振り返ると、創業当時から地域密着型企業ですね。時代の流れや要望に合わせて、求められることを仕事にしていますね。
例えば、創業当時はセメントや壁材の取り扱いをしていたのですが、「問屋さんに買いに行くのが大変だからお店をつくってくれないか」とか、「材料を販売するだけでなく、工事までやってもらえると便利だな」とか、そういう声に応えてきて、おかげさまで会社を大きくさせていただきました。長いお付き合いの会社や人も多くいますね。
とはいえ、何でもできるわけではないですよ(笑)。どんな形であればお応えすることができて、さらに長くそのサービスが提供できるか。私どもも、お客さんも最良の形になることを目指しています。
長く愛される会社の秘訣は、
社員や地域との距離の近さ
――― 大﨑社長自身のことについても聞かせてください。2009年に社長に就任し、2024年で15年目。就任当時と比べて環境や心境の変化はありますか?
やっぱり時代の変化、というのは肌で感じますね。競争から協業の時代へと変わったと思います。昔は県内のガス事業者さん達はライバルで、良く言えば競争してきましたが、途中でオール電化などで電力会社さんとも激しい競争になり、我々にとっては死活問題でした。
心境の変化でいうと、ここ数年は「きちんとしたサービスを提供するためには、会社が正常でなければいけない」ということを実感しています。
昔は高い目標を立てて、それに向かって社員と一緒に夢を見て語って……というやり方で会社が機能してきましたが、色々と大変な世の中で、それだけでは会社が立ち行かなくなっている。だから働く環境、健全な競争ができる環境を整えるために知恵を絞るのが私の大きな仕事になったと感じています。
――― 何よりも「人」を大事にされているのですね。そんな大﨑社長から見て、株式会社丸八の魅力はどんなところですか?
コロナ前は社員の90%が研修旅行に参加してくれたことは、大きな自慢ですね。一般的にはあまり行きたがる人が少ないと思うのですが、うちは120名弱の社員のほとんどが参加します。
研修旅行という名目で、お取引様の元にお邪魔させてもらって私が社員に紹介したいものを見てもらい、美味しいものを食べるという旅行です。私は仕事で色々な場所に行くので、自分が体験した中で「今度社員を連れてきてあげたいな」「こんな体験してもらいたいな」と感じた場所に毎年行っています。今年は京都に行って、「川床」を楽しみました。
社員旅行の他にもクラブ活動があったり、所属しているバレーボール選手の応援に行ったりと、会社の風通しは良いと思います。
――― 社員旅行や歓送迎会を取りやめる会社が多いなか、毎年行い参加率も90%とは素晴らしいですね!お話を聞いていて、大﨑社長と社員のみなさんの距離が近いことも要因だと感じました。
社員との距離はかなり近いと思います。丸八に入社して、営業からスタートしていますので、現場のことも気持ちも分かるので、とにかくみんなと話をするようにしています。例えば、お客様に褒められたことは直接社員にフィードバックしますし、若い人たちからは色々なことを教えてもらいますね。
距離感の近さでいうと、お客様とも近いかもしれません。うちの特徴というか、自慢でもあるのですが、よく「丸八さん、丸八さん」と“さん付け”で呼んでいただくんですよ。それって距離感が近くて、すごく素敵だなって。さん付けで社名を呼んでもらえるなんて、本当にありがたい。お客様と良い距離感、良いバランス感で仕事をしているなと感じられて嬉しくなります。
本音を大切に。「地域にないと困る会社」を目指して
――― 地域との繋がりが仕事に繋がるほど、地元を大切にしている丸八さんですが、富山県のスポーツチームのスポンサーや、アスリートの支援にも積極的だと聞きました。どのようなことを行っているのでしょうか?
富山にはスポーツチームが多く存在していて、バスケットの「富山グラウジーズ」、サッカーの「カターレ富山」、バレーボールの「KUROBEアクアフェアリーズ」などがあります。
これらのチームの協賛を行ったり、「KUROBEアクアフェアリーズ」の選手は、丸八で1名雇用したりしています。社員と試合の応援にもよく行きますし、「KUROBEアクアフェアリーズ」の卒業生が8人くらいいるのですが、その子たちの結婚式に出席してスピーチするのは私の人生の楽しみのひとつですね。
それから、私は相撲が好きなので、富山県を代表する朝乃山関の東京後援会のスポンサーをしています。近々ある千秋楽も社員たちと見に行く予定で、会社一丸となって応援しています。
ここまでお話したように、地元との関わりが濃いので自然と富山のスポーツチームも応援するようになりました。何より、地元で頑張っている人たちがいたら応援したいじゃないですか!
――― 本日は貴重なお話をありがとうございました。最後に、株式会社丸八の今後の展望について教えてください。
究極の理想をいうと、「この地域にないと困る会社」と認識されたいですね。俗にいう「地域商社」と、本当の意味での「地域商社」として認識されるのは全く別物だと思うので、自分たちでその形を作って、「こういうのが地域商社だよ」と堂々と言えるようにやっていきたいです。
そのためには、現場にあるお客様の本音を聞くのが一番のヒント。地域を深掘りして、深いところまで声を拾えるような会社にしていきたいですね。そしてその声を元に、地域からの頼まれごとをどう事業化していくかを考え続けていける会社でありたいです。
▼株式会社丸八についてはこちら!
https://www.maruhachi-co.jp/