「誰もが質の高い人生を」ゴッドハンドと呼ばれる治療家の、世の中への思い
written by 川西里奈
「心身の健康をサポートし、質の高い人生の実現と健全な社会の発展に貢献する」を理念とする、プロフェッショナルメディック株式会社。代表の澤田さんは、大相撲の世界を2001年に引退したあと経営者となり、現在15院ほどの治療院を展開。治療、リハビリテーション、スポーツ、メンタル、ケガのケアといった、あらゆる分野の治療家をこれまで数百人以上指導し、治療を施した人は延べ14万人を越えています。
そんな澤田さんがミッションに掲げる、“質の高い人生の実現と健全な社会の発展”とは一体どういうことなのか、仕事に対する思いをお聞きしました!
澤田大筰(さわだ だいさく)
プロフェッショナルメディック株式会社の代表取締役。東京医科歯科大学大学院修了。柔道整復師、公認心理師などの資格を持ち、巣鴨総合治療院・整骨院グループ 総院長、特定非営利活動法人睡眠健康研究所 代表理事、学校法人光和学園 信州スポーツ医療福祉専門学校 副学校長も務める。著書に『なぜ、ビジネスエリートには猫背の人がいないのか?』(PHP研究所)、『人生が変わる、読むやせぐせ』(主婦の友社) がある。
「治せる人になりたい」ケガが後押しした治療家への道
__澤田さんの経営されているプロフェッショナルメディックとは、どういった会社なのでしょうか?
澤田:巣鴨総合治療院と整骨院を首都圏に15院ほど展開をしています。それから、在宅マッサージ事業と、介護施設へのマッサージ師の派遣事業、企業に対して産業医の紹介事業を通して、衛生委員会のサポートをしています。
私個人としては、医療法人など他にもいくつかの事業にも携っています。形成外科や歯科医院、医療系専門学校、メディカルエステなどに加え、昨年の4月からは東京大学の特任研究員として、誤嚥性肺炎の予防トレーニング等の研究も行っています。
__会社を経営される前は何をされていたのでしょう?
澤田:大学時代に日本大学のアメリカンフットボール部『フェニックス』でアメフトをやっていたんです。そのときのご縁で当時の日本相撲協会の理事長だった時津風勝男親方にスカウトされて、大相撲の道へいきました。
その後、ケガが原因で頚椎ヘルニアになり、2年3ヶ月ほどでドクターストップがかかり、引退せざるを得なくなります。たくさんの先生に診てもらっても、ケガが結局よくならなかった経験から、治せる治療家になりたい。という思いで治療の世界に入りました。
▲巣鴨総合治療院・整骨院は首都圏に15院ほど展開。
やるからには、「ゴッドハンド」を目指す
__いつ頃から、治療家になりたいと思いを持っていたのですか?
澤田:大相撲でケガをする前から、治療家になりたいという思いはありましたね。小学生の頃、親戚にマッサージをして「上手だね、これから整体の仕事はきっと需要があるよ」と、お小遣いをもらったりしたのも今思えば大きかったのかもしれません。その後、柔道をやっていた頃も、アメフト、相撲をやっていた頃も、先輩のマッサージをすると、「整骨院の先生よりも上手い」と言ってもらえました。
柔道では全国高等学校柔道選手権富山県大会の優秀選手賞など数々大会で優勝や入賞を経験し、日大フェニックスではレギュラーとして東日本学生選手権で優勝、関東学生選手権で準優勝しました。周りからは才能があると言われましたが、実は全く才能が無く不器用だからこそ、人より努力をしただけです。
でも、整体に関しては、施術に来た先生を見様見真似でやっても、けっこう上手くできたりして、「もしかしたら才能があるかもしれない」と思っていました。
「やるからにはゴッドハンドになりたい」と夢を持つようになり、そのためには何でもやりましたね。腕の良い先生がいると聞けば全国どこへでも、海を越えて中国にも勉強に行きました。
学生として勉強している時に、膝が痛いという人を診たら痛みが消えて、他の人からも受けたいという声がありました。知り合いが空いている場所を貸してくれて、2002年にまだ学生でしたが、そこで施術を始めたのが起業のスタートです。
その後、2010年に転機がありました。『ターザン』(マガジンハウス)という雑誌で、ゴッドハンド名鑑という特集があったんです。その企画で、音楽プロデューサーのつんくさんやプロゴルファーの片山晋呉さんといった著名人が私を推薦をしてくれたお陰で、雑誌のトップページを飾らせて頂くことになりました。それ以降、日本全国は勿論のこと、韓国、シンガポール、台湾など近隣諸国からも患者さんが来られるようになりました。
でもそれによって、気付いたことがあります。それは、地元でずっと診てきたような、足が悪くてシニアカーを押さなきゃ歩けない高齢者の患者さんたちは同じように遠くまで治療に通うことはできるのか?ということです。誰もが飛行機に乗って治療には行けませんよね。だから、少しでも技術のある治療家を多く育てていって、広い地域に展開したいと思うようになりました。
自分にしかできない仕事がある
__治療家としての喜びを感じるのはどういったときでしょうか?
澤田:自分にしかできないと思える仕事をしたときですね。たとえば、10年来の頭痛、生理痛に悩んでいた人が、施術を受けてから全く症状が出なくなったときや、歩けなかった人が歩けるようになったとき。それから、味覚障害が治ったり、うつ病や引きこもりの人を治療して、外に出られるようになったときなど、その人の人生に良い影響が出たときなんかはすごくうれしいですね。
__うつ病や引きこもり、ということは精神面の治療もされているんですか?
澤田:私は公認心理師という国家資格を持っているので、メンタルも専門的に診れる治療家でもあります。心理学に携わったのは、スポーツをやっていたとき、本番で力を出せないタイプだったので、メンタル面を鍛えるための勉強をしたくて大学で心理学を専攻したのがキッカケです。治療の仕事をし始めてまられは、体の悩みと心の状態が非常に密接だということに気づきました。
たとえば腰痛も、怒りを持っていると痛くなりやすかったり、体には異常はないのに左肩が痛いという患者さんは、母親との関係が原因だったことが、心へのアプローチで判明したこともあります。心と体は表裏一体なんです。
うつ病の診断基準を満たしていなくても、適応障害などのうつ症状がある場合は、自律神経に対するアプローチもおこないます。実は、体へのアプローチでうつ症状が改善される方はかなり多くいらっしゃいます。私は薬を扱う国家資格も持っており、薬に関しても専門的な知識を持っていますが、軽度のうつ症状に関しては可能な限り、薬ではなく体へのアプローチが適切ではないかと考えております。
精神面を病んでいる方が、薬を飲んでもダメだったけど、私が体の治療をしたら良くなったということが度々あります。そのときは本当に、治療家という仕事を選んで良かったと心から思います。
心も体も豊かに生きられる社会を作る
__これから取り組みたいことや、課題はありますか?
澤田:治療家としての課題は、メンタルケアが求められる社会的な背景もあり、体だけでなく心も診れる先生をどれだけ増やしていけるかということです。経営者としては、組織を更に大きくして、社会の公器としてたくさんの社員を雇用し、しっかり税金収めることが社会貢献に繋がると考えています。コロナ禍にも関わらず、弊社は過去最高売上最高益を達成することができました。
__今後実現したいことや、未来への展望を教えてください。
澤田:死ぬまで自分の足で歩けて、自分の口でおいしいご飯が食べられる。誰もがそんな生き方ができる社会づくりをしたいんです。
そのために自分にできることは何かと考え、リハビリテーションを強化する事業もこれまで行ってきました。具体的には、リハビリテーションのサポートができるマッサージ師を介護施設に派遣するというものです。
日本には、医師の同意書があれば、保険が適応される訪問マッサージの制度がありますが、私がこの業界に携わるまでは、慰安マッサージでしか利用されていないのが現状でした。そこで、リハビリテーションを必要としている人にも有効な内容の施術を行う必要があると考え、順天堂大学医学部教授と共に一般社団法人を立ち上げて、そこでマッサージ師にリハビリテーションを教える事業を初めました。
コロナ禍で高齢者のうつも多くなっている現状から、メンタル面からもカバーして、最期まで元気で楽しく、心も豊かに生きられるの世の中を、私はこの活動を通して作っていたいと考えております。
__地元である富山に対する思いなどはありますか?
澤田:母の実家が富山県で、僕自身、2歳のときに富山に移住し、物心がついた頃から宇奈月町(現在は黒部市)で育ちました。住みよい街なのは間違いないですが、これからUターンする人を増やしていくためにも、医療の充実は欠かせません。
若い方に住んでもらうには、安心して子どもを産んで育てていけるような医療体制が必須となります。そのためには、たくさんの小児科の医師にも富山に住んでもらう必要があります。子どもが病気になったときに24時間いつでも小児救急を受けることができれば、安心して子育てができますよね。そんな病院が生活圏に存在する。これは一病院レベルで出来る改革ではないので、その為の政策を富山県政には行って頂きたいですね。
今すぐは変えるのは難しいけれど、医療をしっかりと支えていく基盤をつくるために、私も微力ながら出来る活動を行って行きたいと思います。富山は、自然が豊かで、食べ物もおいしいし、海、山、川が身近にある子育てには最高の街です。若い方はもちろんのこと、リタイヤされて富山に戻られる方にも、富山で生活するという選択をされるための一つの鍵になってくるのは医療面だと思いますので、そこを確立していけたらと思います。
取材を終えて
リオデジャネイロオリンピックでは、男子ゴルフのトレーナーを務めた澤田さん。プロとして活躍する選手たちから、膝が痛い高齢者までを治療する“ゴッドハンド”は、誰もが質の高い人生をおくられる世の中を実現する、という思いを胸に、走りつづけてきたのだとわかりました。自分を信じて目標のために何でもやる、という澤田さんの姿に、勇気をいただいた今回の取材でした。
▼プロフェッショナルメディック
http://www.pro-medic.co.jp/