400年の伝統を未来へ。越中福岡の菅笠職人・中山煌雲さんが語る伝統工芸の可能性
written by 大西マリコ

富山県高岡市の伝統工芸品「越中福岡の菅笠」。約400年の歴史を持つこの工芸品を次世代に継承しようと、精力的に活動を続ける菅笠職人の中山煌雲さんにお話を伺いました。芸能活動と菅笠づくりの二刀流で、伝統を守りながら新しい可能性を追求する中山さんの姿勢からは、伝統工芸の未来への希望が感じられます。

インタビュイー:中山煌雲さん
1976年、富山県高岡市生まれ。2015年に越中福岡の菅笠製作技術の後継者として修業を開始。その後、越中福岡の菅笠製作技術保持者に認定。国の伝統的工芸品「越中福岡の菅笠を材料である菅の栽培から笠の製作・販売まで、すべてを一貫して行う唯一の菅笠ブランド「煌雲」を立ち上げる。伝統的な菅笠製作はもちろん、作家としての作品製作のほか、近年は他業種とのコラボレーションを積極的に行っている。
歴史ある越中福岡の菅笠
――― まずは、越中福岡の菅笠の特徴や歴史について教えていただけますか?
約400年以上の歴史を持つ菅笠の産地が越中福岡、富山県福岡町です。小矢部川という川の氾濫したところに良質な菅が生えて、最初は蓑を作り始めたのですが、前田の殿様の奨励があって笠を作り始めました。現在、全国の菅笠生産の約90%は越中福岡で作られていると言われています。
――― 元々は加賀藩の笠だったそうですね。
そうなんです。元々は「加賀笠」と呼ばれていて、加賀藩の笠として全国的に有名でした。良質な笠として知られ、それを主に作っていたのが越中福岡なんです。
――― どんな用途で使用されますか?また現代社会における需要はいかがでしょうか?
基本的には日よけ、雨よけ、雪よけで使われるもので、笠と蓑をセットで使っていました。現代では時代劇や踊り、神事などで使用されています。私自身は伝統的な菅笠はもちろん、照明やドールサイズの菅笠、敷物など、現代に合わせた新しい商品開発にもチャレンジしています。
▼時代に合わせた、中山さんオリジナルの作品の数々。アイディア次第で幅広い使い方ができることが分かります。
▲煌雲 本菅笠「かほり(10cm市女笠)」
▲「暁」(第4回日本和文化グランプリ入選)
▲「菅畳」
――― かなり幅広い用途に展開されているんですね!
ほとんどがオーダーメイドなんですが、ファッションショー用のヘッドピースや照明、変わったところではハーブテントの骨組みなども依頼をいただいています。菅笠のフォルムやデザインを活かしながら、新しい価値を提案できればと思っています。
偶然が導いた運命の出会い
――― 菅笠職人になられたきっかけを教えていただけますか?
2015年に後継者育成講座を受講したのがきっかけです。当時、メディアで菅笠の後継者不足が叫ばれていて、たまたま後継者育成講座が始まるという情報を知りました。最初は好奇心で習ってみようと思っただけでしたが、そのままどっぷりとはまっていきました。
――― 本業は芸能活動をされているそうですが、その経験は菅笠づくりにも活きているのですか?
はい、三味線や踊りなどの芸能活動をしていて、元々日本の文化が好きだったというのは大きかったと思います。今では三味線と菅笠が自分の舞台のスタンダードになっていて、舞台で菅笠のPRもできるので、相乗効果があると感じています。
――― 技術の習得は大変だったのではないですか?
3年間修行をしました。笠の骨(笠骨)は職人さんについて習い、笠の縫い付けの方は後継者育成講座で学びました。特に難しかったのは笠骨の火曲げですね。熱であぶって一定の角度に曲げる工程は、かなりの技術が必要でした。
誇りと信念のものづくり
――― 菅笠づくりの業界について教えていただけますか?
基本的に菅笠業界というのは分業制で行われています。菅を作る生産者、笠骨の職人、かさぬいの職人とそれぞれの専門家が分かれて作業を行うんです。一つの製品を作り上げるまでに、多くの職人の技が集結しているわけですね。
――― 菅の栽培からされているそうですが、材料にもこだわりがあるのでしょうか?
菅は確かにその辺に生えているものなのですが、手をかけないと大きく育たないんです。小さいものになってしまう。だから菅を太く大きくするために、田んぼで育てて肥料をやって、しっかりと手をかけています。妻が主に担当してくれているのですが、栽培は1年を通して続く仕事になります。
私たちは妻と二人で、菅の栽培から笠骨作り、縫い付け、販売まで一貫して手がけています。分業制は効率的なのですが、一つでも工程が欠けてしまうと全てが終わってしまう。そういうリスクもあるんです。一貫して作れることは、私たちの強みになると考えています。
――― それは大変な挑戦だと思いますが、そうした一貫生産にこめられた思いを教えていただけますか?
一番の理由は、自分の作っているものに最初から最後まで責任を持ちたいという思いです。材料から作ったものまで、全てに責任を持ってお客様に届けたい。そういう気持ちがあります。大変なこともありますが、妻と二人で楽しみながらやっています。
――― やりがいを感じる瞬間はどんな時ですか?
一つの笠を自分で全て作れるということ自体が、とても大きな喜びですね。それに、お客様から「思っていたものよりずっといい」と言っていただけた時は本当に嬉しいです。あとは、自分が作った作品を工芸品のコンペで発表して、入賞したり入選したりと評価をいただけた時。そういう時はやっていて良かったなと心から思います。
――― 中山さんの菅笠づくりにおける大切にされている思いを教えてください。
一番大事にしているのは、「神様に捧げても恥ずかしくない作品作り」というコンセプトです。作品作りのときには自分の氏神様に挨拶に行き、作り終わってからも感謝の挨拶に行くことを必ずやっています。
――― 実際の制作では、どのような工程が特に難しいのでしょうか?
技術的に一番難しいのは笠骨の火曲げですね。熱であぶって一定の角度に曲げる工程なのですが、この作業には長年の経験が必要です。また、笠縫いの工程も繊細な技術が求められます。菅笠は円形状に渦巻きのように下から中心に向かって縫い上げていくのですが、上に行くほど菅が集まってくるんです。それを少しずつ間引きながら綺麗に縫っていくという、非常に神経を使う作業になります。
――― 一つの菅笠を作るのにどのくらいの時間がかかるのですか?
大きさによってだいぶ変わるのですが、一般的に流通しているスタンダードなもので大体3日ほどかかります。1日8時間働いて3日という計算ですね。菅は乾燥した葉っぱのような素材なのですが、作るときは濡らして少し柔らかい状態で使います。一つ一つの工程に時間をかけて丁寧に仕上げていきます。
世界へ羽ばたく伝統の技
――― これからの菅笠文化について、どのようなイメージをお持ちですか?
菅笠というと「越中福岡の菅笠」という枠で捉えられがちなのですが、元々は全国で作られていた文化なんです。ですから、福岡町だけにこだわるのではなく、オールジャパンという視点で捉えていきたい。まだいくつか残っている産地と連携や交流を深めて、日本の菅笠文化として世界に発信していければと考えています。
――― そうした文化の継承に向けて、中山さん自身の夢はありますか?
はい。今、私たちは菅笠教室を開いているのですが、将来的にはこれを日本のカルチャー教室の一つとして全国に広げていきたいんです。私のお弟子さんがまた先生となって、どこかで教室を開く。そうやって全国に菅笠教室が広がっていけば、技術も文化も自然と継承されていくのではないかと思います。
――― 海外の方々の反応はどうでしょう?可能性を感じることはありますか?
面白いことに、菅笠文化がない地域の方々にとっては全く新しいものなんです。「これは何ですか?」という反応から始まる。でも、それは新しい可能性を秘めているということでもあります。まだ何もできていない分、これからもっともっといろんなことができる。チャンスだと思っています。
――― 最後に、菅笠の未来に向けて読者の方々へメッセージをお願いできますか?
今、菅笠業界は大きな変革期を迎えています。まだのびしろが大きい業界だからこそ、これからもっともっといろんなことができる。菅笠の魅力が伝わるような活動を続けていきますので、ぜひ富山の越中福岡の菅笠に注目していただければ嬉しいです。
▼ 中山煌雲さんについてはこちら!
https://takaokamingei.co.jp/ko-wn/