160余年の時を紡ぐ鋳物の心。大寺幸八郎商店6代目が語る高岡での暮らしと仕事
written by 大西マリコ

大寺幸八郎商店

開町400年の歴史を持つ高岡市金屋町。この町には、今なお江戸時代の風情が色濃く残っています。その一角で160余年にわたって高岡銅器に携わってきた大寺幸八郎商店。6代目の康太さんと妻の桂さんは、伝統的な鋳物技術を現代のライフスタイルに合わせながら、新たな魅力を発信し続けています。
自宅を店舗兼カフェ&ギャラリーとして開放し、地元作家や職人の息吹を感じられる空間を提供する大寺幸八郎商店。時代とともに変化する生活様式に寄り添いながら、伝統工芸の未来を見つめる夫婦の想いに迫りました。

インタビュイー:大寺康太さん・桂さん
大寺康太さんは1860年創業の大寺幸八郎商店6代目。千葉県の大学を卒業後、家業を継ぎ、高岡銅器の製造卸を手がける。桂さんは東京出身で2016年に高岡に移住。錫のアクセサリーブランド「kohachiro」を展開し、オリジナルブランドとしての自店での販売から各地の小売店舗で幅広く展開している。2006年からは自宅の一部を一般開放し、店舗兼カフェ&ギャラリーとして運営。伝統工芸の魅力を現代に伝える活動を続けている。
160余年続く、老舗が歩んだ道のり
――大寺幸八郎商店について教えていただけますか。
康太さん:うちは1860年に初代が鋳物工房を始めて以来、160余年にわたって高岡銅器に携わってきました。主に美術鋳物の製造卸の問屋をしていて、オリジナル商品を作ったり、お客様からの特注品や記念品を請け負ったりしています。それとは別に、お店も開放して小売もやっております。
店舗では、カフェコーナーもありますし、アクセサリーの工房兼ギャラリーも隣の建物にあって、展示企画なども行っています。工房は常時開けているというよりは、現時点ではイベントごとに開放するような形ですね。
――160余年という長い歴史の中で、どのような変遷があったのでしょうか。
康太さん:明治や大正の頃は瓶掛け火鉢がすごく売れていたそうです。その当時の生活必需品だったんですね。それから生活スタイルの変化とともに、メイン商材も変わってきました。昭和の時代はまだ火鉢も売れていたと思うんですが、どんどん売れなくなって、今度は床の間に置く置き物や花瓶といったものが贈り物として重宝されるようになりました。
でも現代に向かってくると、床の間を持つ家がどんどん少なくなってきて、そういったものも売れなくなってきた。それで大きなものではなく、もっと個人的に楽しめるサイズ感でということで、小さな干支の開発を始めたんです。
大寺幸八郎商店の人気商品をご紹介!
林悠介 干支シリーズ
康太さんのいとこである林悠介さんとのコラボレーションで生まれた鋳物の干支シリーズ。2008年のネズミ年から毎年一つずつ制作し、現在12種類すべてが揃っている。林さんの造形への強いこだわりと、ロストワックスという精密鋳造技術により、美しい鋳物作品として仕上げられている。従来の大型の干支置物とは異なり、個人的に楽しめるサイズ感で現代の住環境にもマッチする。コレクターも多く、毎年楽しみにしているファンも少なくない。
おおてらのミニ干支
https://ootera.com/collections/minieto
大寺幸八郎商店オリジナルのアクセサリーブランド「kohachiro」
桂さんが手がける錫のアクセサリーブランド。純錫を使用し、ハサミで切って手で曲げて加工するという柔らかい素材の特性を活かしている。優しい色味と、温かく柔らかな質感が特徴。雲や雨など北陸の気候をモチーフにした「そんな日でも楽しいお出かけ」というコンセプトの作品や、錫を曲げた時の美しい表情を活かした波のシリーズなどがあり、幅広い層に愛用されている。
▲曇りや雨の日が多い富山の冬の天気から着想を得たという「くもとあめ」のブローチ。
Kohachiro
https://ootera.com/collections/kohachiro
6代目として家業を継ぐということ
――康太さんは、どのようにして家業を継がれたのでしょうか。
康太さん:僕は次男なんですが、兄がいて妹がいて、みんな家の手伝いを経験していました。千葉県の大学に行っていた頃も、長期休みとかはほとんど家に帰って工房のお手伝いをしていたんですね。そういう意味で、大学出た後に実家に帰るということに違和感はなかったです。
高岡には鋳物に関わる家が多いんです。僕の小中学校の同級生も、そういう家の息子だったりして。他から見たらちょっと特殊な環境かもしれないですが、意外と僕にとっては身近な部分もありました。
――最初はどのようなお仕事をされていたのですか。
康太さん:帰ってきた時は、鋳物の仕事をメインでやっていましたが、父が病気で具合が悪くなって、ちょっとずつ卸と小売の方にシフトしていったという感じです。もちろん製造においては、高岡は工場がいっぱいあるので、それぞれ得意な工場にお願いをするようになり、そうやって今の形態にちょっとずつ変化していきました。
工場(こうば)では、特注品を請け負ってつくるものがほとんどだったので、小さいものから、本当に大きな何メートルみたいなものまで手掛けていました。物によっては、家で原型から鋳造、仕上げ、着色まで自社で行っていました。高岡は分業制が主なので、ちょっと特殊なスタイルでしたね。
高岡という土地が持つ独特の魅力
▲高岡市の大佛寺に鎮座する青銅製阿弥陀如来坐像「高岡大仏」。高さ約16メートル、奈良・鎌倉の大仏と並び「日本三大仏」とも称されています。また、地元では「だいぶっつあん」の愛称で親しまれ、“日本一イケメンな大仏”とも噂されています。
――お二人から見た高岡の魅力を教えてください。
康太さん:大学時代に東京にいて、その時は東京の便利さを感じたんですが、高岡に帰ったら普通に便利だなと思って、全然不便さを感じませんでした。生活しやすいなと思います。
高岡はまだ古いものも残っていて、そういうものにも触れることができますし、ちょっと行けば海にも山にも行ける。20、30分圏内で行ける感覚があって、すごく良い環境だと思います。
桂さん:私も東京から来ましたが、高岡は田舎すぎず都会すぎず、東京から出て田舎に来たという感覚は全くないですね。出会う人たちもいろんなところから来られていますし、デザインに関しても最先端の方たちが県外から訪ねてくださいます。職人さんたちもすごく面白くて、はまる人はすごくはまります。
それから食べ物もとても美味しいし、お米が美味しいし、子育てはすごくしやすい環境です。お魚も本当に美味しくて、今日はちょっと作るのが面倒だから刺身にしとこうか、なんてことができるのは贅沢ですよね。
生活に寄り添う、お店づくりの想い
――お店を運営する上で大切にしていることはありますか。
康太さん:来られた方には丁寧な接客をして、うちの商品についてもしっかり伝えたいなと思っています。こういう作り方をしているとか、こういう素材で作っているとか、それが高岡の産業の説明に繋がれば良いなと思うんです。
桂さん:時々お客様に「ここで生活してるんですか?」って聞かれるんです。「そうなんですよ」って言うと、「生活をしているその空気感がすごく良いです」って言ってくださる方もいらっしゃって。いわゆる観光のために作られた場ではなくて、生活と密接したところが見られるということで、暮らし方も触れていただける場所になっているのが大事かなと思います。
――最後に、今後の展望について教えてください。
康太さん:続けていくということが大事だと思うんですが、その中でお客様が見て楽しんでいただけるような状況は作っていきたいと思います。新商品を作ったり、見せ方を変えたり、そういうところを見ていただいて楽しんでいただき、どんどん良くしていきたいなと思っています。
桂さん:あまり派手な意識はなくて、大きな未来的なビジョンもあまりないんです。無理に新しい目標を立てたり、新しいことをやってみようと頑張りすぎるよりも、今できることは何かということを大切に。今までも時代の流れにゆるっと寄り添ってやって来たので、3歩先じゃなくて半歩先ぐらいを見つめて、いかようにも動けるように構えていたいと思います。
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