開湯100周年を迎えた宇奈月温泉。次の100年へ向けてアピールする歴史と魅力とは
written by 大西マリコ
富山県東部に位置する宇奈月温泉。観光地としてはもちろん、地元の人々からも愛される富山県随一の温泉地です。
2023年に開湯100周年を迎え、4月から続々と記念行事やイベントが行われています。そんな宇奈月温泉で自治振興会会長を務めているのが、河田稔さん。100周年という記念すべき年を盛り上げるために日々奮闘中の河田さんに、宇奈月温泉の歴史や魅力、そして次の100年に対する思いなどをお聞きしました。
インタビュイー:河田稔さん
宇奈月温泉自治振興会会長。1943年生まれ、富山県黒部市宇奈月町出身。東京の中学校と高校を卒業し、富山県内の新聞社に就職。以降40年以上に渡り記者として勤め上げ、退職後は地元・宇奈月町と温泉の発展に貢献中。
先人と地元住民で守り続けた宇奈月温泉
――― 宇奈月温泉開湯100周年おめでとうございます。ここからまた新たな歴史を刻むべく新しい100年が始まるわけですが、改めて宇奈月温泉の歴史について教えてください。
1920年代、大正時代に宇奈月温泉ができる前、その周辺の土地は「桃原」と呼ばれ、険しい地形や積雪の多さから人が近付くことができない秘境でした。それが一大温泉地になった理由は、電源開発の話なくして語ることはできません。
明治・大正時代に入って全国的に活発になった電源開発事業。とくに水力発電には大量の水が必要になり、水源地がある地域は発電所建設地として次々と開発されていきました。豊富な水源を擁する黒部川も例に漏れず、目をつけたのが富山県高岡市出身の高峰譲吉博士です。
高峰博士は日本での初めてアルミニウム製造を計画しており、製造の過程で必要な多量の電力を安価に得るため発電所開発に乗り出したのです。
開発の陣頭指揮役を任されたのは、逓信省で土木技師をしていた山田胖(ゆたか)さん。この後詳しくお話ししますが、後に「宇奈月温泉の父」と呼ばれるほど、黒部川の電源開発と宇奈月温泉に貢献した方です。
――― 宇奈月温泉の歴史は電源開発からスタートしたのですね。山田さんのお話も是非聞かせてください。
大正10年(1921)には発電所建設とあわせて、工事用物資を運ぶため鉄道の建設も始まりました。これが宇奈月温泉に欠かせない景色のひとつであるトロッコ電車、黒部峡谷鉄道の始まりでもあります。
同じ頃、桃原上流にある黒薙や鐘釣などの既存温泉から、黒部川の水位低下を心配してダム建設反対運動が起こっていました。本来ならば温泉閉鎖で終止符を打つこともできるところを、山田さんは地元の人々を尊重します。なんと会社でこれらの温泉を買収し、黒部温泉会社を設立。引湯権や施設の一切を譲り受けたのです。
このように順風満帆に見えた開発事業ですが、アルミ製造計画の中止や高峰博士の急逝など相次いで問題が発生。結果、発電事業だけに専念することになり、経営は日本電力(現・関西電力)に引き継がれました。
しかし、電源開発以外の事業には消極的だった日本電力は温泉の開発に当初難色だったようです。これに対し山田さんは、「地元民の保養地を奪うのは望ましくない」と温泉存続を強く主張。温泉地の必要性を説き、さらに「開拓すれば鉄道客も増加し、繁栄するのではないか」と、会社を説得したのです。
こうして桃原はリゾート地として整備されることが決まり、土地の買収や都市計画などが進行。鉄道開通当初「桃原駅」だった町の中心地にある駅は翌年には「宇奈月駅」と改称され、「宇奈月」という地名が広まっていきました。
河田会長、山田胖銅像の前で
――― 宇奈月温泉100年の歴史にはそのような壮大なストーリーがあったのですね。
全国にはたくさんの温泉地があり、なかには1000年を超える所や戦国時代からある温泉もあります。そういった所から見るとそれほど長い歴史がある温泉地ではありませんが、開発に関わった方々や地域住民の思いなど、たくさんの物語が詰まっている場所です。
また、ここまで来るには世界恐慌や戦争、大火事など数々の困難があり、その度に住民や行政が力を合わせてそれらを乗り換え、時代の流れに翻弄されながら100年間続いてきました。
きっとこれからの100年もさまざまなことがあると思いますが、この場所が末長く続くよう、宇奈月温泉の歴史や魅力を伝え続けていきたいと思っています。
様々な課題に取り組む、宇奈月温泉自治振興会
――― 河田さんのご経歴についても教えてください。ご出身は宇奈月町ですよね。
生まれも育ちも宇奈月町です。当時の観光地の家というのは親が忙しく、子どもには「どこでも行っとれや」といった感じだったので「じゃあ俺は東京行くわ」みたいな感じで中学高校と
東京に行っていました。
富山には高校卒業後、戻ってきて新聞社で働いておりました。30年近く宇奈月と深い関わりはなかったのですが、60代半ばで退職して宇奈月に戻ってきて「地域のために何かしなきゃいかんかな」と思っていたところに宇奈月温泉の地域活動のお誘いがあり、今に至ります。
――― 宇奈月温泉自治振興会会長として、どのようなお仕事をされているのでしょうか?
仕事内容は多岐に渡りますが、簡単に言うと地域に色々な課題があり、解決や要望の実現のために取り纏める役割と言いましょうか。福祉や環境の問題もあれば、宇奈月温泉は観光地なので観光についての関わり方などの課題もあります。
私が会長になってから約10年になりますが、正直なところまさかここまで長くやるとは思っていませんでした(笑)。でも、引き受けた以上はとにかくやるだけのことはやらなきゃいかんなということで、日々頑張っています。
――― これまでの活動の中で印象に残っている出来事はありますか?
宇奈月には「宇奈月ダム」という国交省のダムがあるんです。ダムの下にある監査廊という管理用通路は年間を通じて11〜13度、湿度も一定で振動もない。酒を貯蔵するのに適しており、味がまろやかになるということで国交省黒部河川事務所にご協力いただき、酒を置かせてもらいました。
5年以上続いている取り組みですが、コロナ禍で貯蔵酒を飲むイベントができなかったので今年ついに開湯100周年事業として盛大に振る舞うことが決まっています。
活動は大変なこともたくさんありますが、このようにみなさんで楽しめることであるのはもちろん、私自身も楽しくて印象に残っていますね。
宇奈月の歴史と今後の魅力を生かした記念事業が満載
宇奈月温泉100周年記念式典であいさつする河田会長
――― 地域や住民の方のためはもちろんですが、河田さんご自身が楽しみながらお仕事をされていることが継続の秘訣なのですね。先ほど開湯100周年事業のお話が出ましたが、100個以上の記念行事が予定されているそうですね。
実は140個以上の行事が予定されています。実行委員会による記念式典や記念植樹など、基本的なものは決定していたのですが委員会幹部や地域のみなさまから「せっかくやるんだったら大々的にやろう!100周年だから100個以上の事業を考えた方が良いんじゃないか」というようなご意見をいただいて「じゃあやるか」と盛り上がりまして。
地域のみなさまからも「こんなことをやってみたい」「こんなことをやって協力するわ」というお声をいただき、140個以上に増えた次第です。
▼宇奈月温泉開湯100周年関連事業一覧はこちらからチェック!
https://www.kurobe-unazuki.jp/event/2023/03/15/7805/
参加者で万歳三唱 宇奈月温泉100周年記念式典
――― 140個以上の記念行事!地域のみなさんの熱意や盛り上がりが伝わってきます。記念行事を通してアピールしたいことはありますか?
イベントは主に3つのテーマに分けられると思います。1つ目はこれまでの100年の歴史を踏まえたイベント、2つ目はこれからの時代を考え、宇奈月の魅力を生かしていくためのイベント、3つ目は宇奈月の元気さを発信できるようなイベントです。
我々としてはこれまでの感謝と、これからのことを含めた事業を今年1年間行っていき、「宇奈月は元気だ!」というところをアピールしていきたいと思っています。
――― 本日はありがとうございました。最後に、宇奈月温泉について今後100年に対する思いについて聞かせてください。
99年の次は100年、100年の次は101年なので、100年というのは当然その中のひとつですが、されど100年なんです。我々はこれまでの100年を最大限生かして、この機会にどのようにして良い地域にしていくのか、ブラッシュアップする方法を考えることが大事だと感じています。
それから、宇奈月は観光地ではありますが、私を含めここで暮らしている人がいます。観光地として多くの人に来ていただきたい、宇奈月の魅力を感じていただきたいと思うと同時に、これからの100年、200年と末長く地元の方々が楽しく暮らしやすいような地域であってほしいと願っています。
▼宇奈月温泉についてはこちら!
https://www.unazuki-onsen.com/
▼宇奈月温泉「開湯100周年特設サイト」についてはこちら!
https://www.unazukionsen-100th.com/